若狭の龍宮〈1〉の続き —

若狭姫(ワカサヒメ)のまたの名は豊玉姫(トヨタマヒメ)である。それならば、若狭姫は“龍宮乙姫”ということにもなる。このように若狭姫と“龍宮”とは何かと因縁があって興味深い。“龍宮”が不老不死の世界であることを考えれば、「若狭は若さ」に繋がるのかも知れない。そんな駄洒落とも冗談ともつかない話になってくるが、ひょっとすると“若さの秘密”は人魚の肉なんかじゃなく“龍のパワー”に秘密があるのかも?これを言い換えれば、“螺旋の動き”にあるのでは?と。いや、海、龍、人魚、貝、それらすべては“水”がキーワードとなっているから、そこを考えると、不老不死とか長寿は秘教学にいう“生命の水”に関係するものなのではないか?

この不老不死とか不老長寿という考え方は、古代中国の神仙術や道教思想などからきた生命論で、「老いることなく長生きする」ことをいう。実はこの不老長寿を表した言葉がこの日本にもあった。それを常若(とこわか)と呼んだ。「常に若さを保つ、常に若返りを繰り返す」という意味で、「若さへの再生」となる秘法とされる。これは日本の神仙道からきている。どうやら龍神のパワーは生命の《再生》と深い関係がありそうだ・・。

〈籠目紋の解説〉
籠目紋は古くより海人族のシンボルだが、六芒星として解釈すると、日本の秘密が見えてくる。これまでとは違った世界が目の前に展開されてくるのだ。

若狭姫神社(小浜市遠敷)
祭神:豊玉姫命(龍宮乙姫:龍女)

豊玉姫を奉る若狭姫神社

若狭(福井県)の小浜(おばま)に《若狭姫神社》《若狭彦神社》がある。若狭姫(わかさひこ)と若狭彦(わかさひめ)は、遠敷(おにゅう)郡 下根来(しもねごり)村、白石(しらいし)の里に示現(じげん)したと伝えられている。「村人はそれを見て、その姿は唐人のようであった」との伝承がある。唐人とは中国人と言う意味ではなく、おそらく「この国の人ではない、外国人みたいだ」と異風の姿を見て漠然とそう思ったのだろう。ところで若狭姫には別名がある。豊玉姫(トヨタマヒメ)だ。トヨタマヒメはワタツミ(綿津見・海神)の娘である。ワタツミとは、日本海沿岸や朝鮮半島の沿岸、中国の東海沿岸などに点在する湾岸国(古代の日本では岐:キとした)との交易を行い、環日本海や中国の東海を股に掛け、縦横無尽に航海した海人族(海洋民族)をいう。若狭姫・若狭彦もその海人族であるから、海外諸国のモード(トレンドファッション)を身に着けていても不思議ではない。当時、海人族は海外諸国から倭人(わじん)とも呼ばれていたので、そのような服装だったといっても唐人とは限らない。その証拠に、例え「唐人のようであった」といっていても「唐人だった」とは断定していないのだから…。

豊玉彦を奉る若狭彦神社
〈言葉の解説〉

※示現(じげん)とは、応身(おうしん)、権化(ごんげ)ともいって、仏陀や菩薩(大乗仏教の求道者)が生きとし生けるものを救済するために、時と場合に応じて色々な姿をとって現れることを言う。

※当時、海人族(倭人)が交易のために立ち寄っていた湾岸国(岐で表される)は、渤海国の龍原府、南海府、朝鮮半島では新羅国の金城・伽倻(朝鮮半島の倭人国)朝鮮半島南端の釜山、中国の南の海域では台湾の台北、高雄、中国の東の海域では、琉球(沖縄)、中国大陸では遼東半島の大連・沿岸部の天津・青島・上海・福州、香港、ルソン(フィリピン)などである。古代の日本は、まさに海人族(倭人)が     跋扈(ばっこ)していた国だった。

古事記や日本書紀の一書に、豊玉姫は出産時、“八尋和邇(ヤヒロワニ)”の姿になったと記されている。ところが、日本書紀本文には“龍の姿”になったと記されている。和邇(ワニ)とは鮫(サメ)のこととしているが、古代日本の東北は温帯で、九州とか沖縄は亜熱帯だったようだから、鰐(ワニ)がいても不思議でははない。古代の人々はその鰐を見て“龍”だと思ったことだろう。

ともかく、豊玉姫は“海神(かいじん/ワタツミ=綿津見とも記す)”の娘とされ、“海神(かいじん/ワタツミ)”は“龍神”(りゅうじん)に他ならず、であれば、“海神宮(ワタツミノミヤ=綿津見宮)”は“龍宮”ということになり、豊玉姫も“龍神” “龍女”ということになる訳だ。豊玉姫が“龍女”であるのは当前といえば当前だ。そこで、豊玉姫の住まいは“海神宮”であり、“ワダツミノミヤ” が “龍宮” であるなら、豊玉姫は龍宮乙姫(オトヒメ)ということになる。また、“龍宮”の使いとされる大亀(ウカメ:海亀)は龍宮乙姫(オトヒメ)の化身とされる故に、亀姫(カメヒメ)とも呼ばれている。浦嶋児(うらしまご:浦島太郎)を“龍宮”に招き入れた亀姫(カメヒメ)の住む時空は「不老不死の世界」を象徴している。

さて、もう一つの龍宮の使いである人魚にまつわる逸話がある。人魚の肉を食べて不死となった八百比丘尼(ヤオビクニ)の伝説だ。それも若狭が舞台。八百比丘尼の父親は歌舞伎にも登場する陰陽師の芦屋道満(アシヤドウマン)。安倍晴明(あべのせいめい)のライバルとされるほどの人物。晴明は平安期における陰陽寮長であり、どちらも名高い陰陽師だ。晴明の母は稲荷と浅からぬ関係にあるが、晴明(せいめい)自身は少年期に龍宮童子(りゅうぐうどうじ)とも呼ばれたように、龍宮とは深い因縁で結ばれている。後に安倍家は、天皇より土御門(つちみかど)の称号を賜ることになり、以後は土御門を名乗る。その子孫が若狭小浜に天社土御門神道(てんしゃつちみかどしんとう)を開くことになる。陰陽道の大家、安倍晴明と土御門。ここに“土(つち)”の字が入っている。この“土”だが、秘教では“密字(みつじ)”を指す。つまり、“暗号”である。この“土”には、若狭神宮寺の“お水送り”と奈良東大寺の“お水取り”に仕組まれた秘密事を解く鍵が隠されている。その話については後で説明する。

〈若狭龍宮の流れ〉

※“若狭龍宮”の流れを見てみるとこうなる。若狭(ワカサ)→ 若狭比売(ワカサヒメ)→ 豊玉比売(トヨタマヒメ)→ 龍宮乙姫(オトヒメ)→ 海亀(ウミガメ)=大亀(古語でウカメ)→ 亀姫(カメヒメ)→ 龍宮への誘い → 龍宮の世界→不老不死(ふろうふし=不老長寿)の理想郷 → 永遠の若さ=常若 → 永遠なる生命の獲得 → 生命の本質的悟りを得る → 老人に戻る選択をして、大往生をまっとうする → 新たな世界への生まれ変わりということになる。実はこれが“龍宮”に説くところの真の意味だ。

天徳寺の馬頭観音と瓜破の真清水

天徳寺の縁起に、養老年間、秦泰澄(はたたいちょう:秦氏系)が宝篋ケ嶽に上り、馬頭(ばとう・めず)観音像一体を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことをもって寺の起こりとしている。このエピソードにまつわる秘話があって、馬頭観音(めずかんのん・ばとうかんのん)はトヨウケヒメ(豊宇気比売)としても奉られていることだ。この話は秘密であるのであまり知られていない。

トヨウケヒメ(豊宇気比売)はまたをウケモチノカミ(保食神)というが、このウケモチノカミの話で、ツクヨミノミコト(月夜見尊/月読命)の太刀に斬られて亡くなった後、頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生じ、アメノクマヒト(天熊人)がこの穀物を持ち帰ると、アマテラスオオカミ(天照大神)は大いに喜び、民が生きてゆくために必要な食物であるとして、これらを田畑の種としたという神話がある。この神話からウケモチノカミ(保食神)は食物の神というだけでなく、頭から牛馬が生まれたので牛馬の神ともされた。そこで頭と馬の共通点で「馬頭観音(めずかんのん=ばとうかんのん)」と同一視された。このウケモチノカミはトヨウケヒメのことであるから、馬頭観音はトヨウケヒメ(豊宇気比売)でもある訳だ。

この女神は“真名井龍神”とも呼ばれて、天真名井(アメノマナイ)という聖水の湧き出る池を守る“龍女”である。その真清水(真澄の聖水)をもって生命を蘇らせる水の神であった。その働きはトヨタマヒメ(豊玉姫)の働きと似ていて、いうなれば、トヨタマヒメ(豊玉姫)はトヨウケヒメ(豊宇気比売)でもあることになる。トヨタマヒメ=トヨウケヒメという図式だ。

若狭神宮寺のお水送り

若狭神宮寺(じんぐうじ:福井県小浜)は東大寺二月堂への「お水送り」が行われる寺である。山号を霊応山、薬師如来坐像を本尊とする天台宗の寺だ。神宮寺縁起によれば、和銅七年(714年)、元正天皇の勅命により、若狭国一ノ宮の神願寺として、泰澄(たいちょう:出自は秦の直系、姓も秦=ハタ)の弟子の沙門(しゃもん:仏法修行者)である滑元(かつげん)によって創建された。鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、かつて七堂伽藍二十五坊を誇った。

薬師如来(やくしにょらい)は大医王仏ともいうが、そのフルネームを薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)という。その美しい仏名を耳にするとすべてを癒す力の功徳を連想する。薬師如来は瑠璃光浄土(浄瑠璃の世界)の教主。無明の病を直す法薬を与え、瑠璃光を以て衆生を救う」とする医薬の仏とされている。瑠璃光は美しい青緑色(エメラルド・アクアマリン・ラピスラズリ)に輝く宝石のような光のことをいう。如来の中で唯一の現世利益仏とされるのはおそらく、美しい青緑色の光を放つ“瑠璃玉”が三次元物質界の“地球”の象徴でもあるからだろう。その如来の功徳とは、

「病に苦しみ、医薬もなく、家族もなく、家も財産もない、苦しみの渦中にあっても、その仏名を聞けば、障害は消滅し、病気も平癒する」と説く。薬師如来は東の空(瑠璃浄土の方角)に昇る太陽と月を象徴する日光・月光の両菩薩を脇侍とする。この、月・太陽・薬(=命を癒す)の三要素は後で関係してくる。

白石の鵜ノ瀬のお水送り

白石の鵜ノ瀬は東大寺の若狭井(わかさい)の水源とされる。そのことから白石神社での祭行を伝えるものだ。根来八幡宮(ねごりはちまんぐう→ねごろとは読まない)では、毎年三月二日に山八神事を行い、同日夜、奈良東大寺の“お水取り神事”に先駆けて、若狭神宮寺から神人と寺僧によって、遠敷川(おにゅうがわ)の鵜ノ瀬に向けて“お水送り神事”が厳かに繰り広げられる。

この鵜の瀬の水は、十日をかけて東大寺二月堂の若狭井に届くとされている。ここで問題となるのは白石という石の名だ。白石で頭に浮ぶのは、比売許曽神(ヒメコソノカミ)の依り代である神体石である。ヒメコソとは、百済の王子ツヌガアラシト(都奴我阿羅斯等/角賀現人)の求婚から逃れて本土の日本に帰還した女神のことである。因みに、白石は月の精や“水の精”を意味する。ヒメコソは“龍女”かも知れない。

白石、赤玉、宝珠、龍玉はすべて“龍宮”と関係する。龍神は天球(宇宙と宇宙間の星々)を支配し、またこよなく愛する。そして、その両手には、方や日球(赤玉=太陽)を、方や月球(白玉=月)を握る。この日と月が「水を操る龍王の呪術」となる。日と月を合わせ持つ呪術こそ「明(アカル)」なのだ。そしてその象徴としたのが“アカルヒメ(阿加流比売)”だったのだ。では、その「明(アカル)の呪術」とはいったい何だったのか?

その呪術の目的は「天地和合・陰陽愛和」にある。白石は水の精、月の精、生命の水を象徴し、赤玉は火の精、太陽の精、生命の火を表すものとされる。『火と水は一つに交わると“氣”に変容する。そこで、女性(地性・陰性)と男性(天性・陽性)の本質的生命の調和がなされる』。生命の本質は“魂”であるから、『創造性に満ちた化学的変化が、世界にも自分の人生にも起きる』ことになる。

若狭の龍宮〈3〉に続く

写真:PIXSTA

久世 東伯
太礼道神楽伎流宗家丹阿弥。1990年より京都伏見の稲荷山の神仙「白翁老」より「イナリフトノリ」の指南を受ける。2006年に京都にて太礼道神楽伎流を旗揚げ。翌年、神楽舞の動きを基礎にした「かぐらサイズ」の伝授のため教室を展開。著書に「イナリコード―稲荷に隠された暗号」「イナリコード外伝 日本の霊性、最後の救済」。 久世東伯が受けたご神託 【土公みことのり】PDF特別無料プレゼントしています。 久世東伯が受けたご神託 【土公みことのり】PDF特別無料プレゼントの購読申し込みはこちら
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