清和源氏発祥の地。とはいっても知らない人は多いと思います。
清和源氏の初代・源経基(みなもとのためとも)の屋敷があった場所です。
源経基は清和天皇の第六王子・貞純親王の息子です。
源経基の子孫には鎌倉幕府をひらいた源頼朝がいます。そこで武士の世を作った頼朝の祖先ということで、出世開運のご利益があるといわれています。
そんな源経基には伝説があります。なんと死後は龍神となって子孫を守ると誓ったのです。龍神になった源経基は邸宅にある池に住んでいたそうです(屋敷の西にあった池に住んでいたという説もあります)。経基の息子が屋敷あとに神社を建ててお祀りしたのが六孫王神社の始まりです。御祭神は龍神になった男・源経基。
頼朝が鎌倉幕府を作ることができたのも龍神様のおかげなのでしょうか。
現在ではかつての屋敷の面影はありませんが、源経基が龍神になって住んでいたという池にちなんで「神龍池」として再現されています。京都駅からも近いのに観光客は少なく穴場スポットです。

六孫王は、清和天皇の六男を父として生まれ、経基と名づけられたが、皇室では六男の六と天皇の孫ということで六孫王と呼ばれていた。十五才にて元服、源の姓を賜わり、先例に従い臣籍に加えられたとある。承平・天慶の乱に東国・西国の追討使を承り、現地に赴き凱旋の後、鎮守府将軍に任じられた。王は現在の社地に住居を構え、臨終に臨み「霊魂滅するとも龍(神)となり西八条の池に住みて子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と遺言された。王の長子満仲公は遺骸を当地に埋葬され(本殿後方に石積の神廟がある)その前に社殿を築いたのが、六孫王神社の始まりである。(平安時代中期)
 境内中央の池を神龍池といい、その側に満仲誕生のおり井戸上に琵琶湖の竹生島より弁財天を勧請し、安産を祈願し産湯に使ったと云う、誕生水弁財天社がある。(6月13日弁財天御開帳祭)

御祭神六孫王大神(ろくそんのおうおおかみ)
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
時間境内自由
拝観・利用料無料
所在地〒601-8471 京都市南区 壬生通八条角
TEL075-691-0310
ホームページ 六孫王神社 
http://www.rokunomiya.ecnet.jp

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