若狭の龍宮〈3〉の続き —

十一面観音は、すべての観音の中で最も強大なパワーを持つとされている。ということは、「この世に叶えられぬものは何一つない」ことを示すものだ。そのパワーを得る秘儀が「悔過(ケカ)の行法」にあるというが、その行法の根本は、「己の過去の過ちを悔いて、深く詫びて、心を改める行為」にある。その行為を何度もまた何度も繰り返すことにある。それを十一面観音が感受し認められるとその観音の自在力でその者の生命は新たに《再生》されることになり、そこで始めて、大仏の御元(みもと)に、毘盧遮那仏(ビルシャナ)の世界に招かれる。言い換えれば、高次元の太陽神霊界に招かれることになる。

さて、この十一面観音だが、かつて(奈良時代中期)三輪山の麓に鎮座する大神(オオミワ)神社の最古の神宮寺として建てられた大御輪寺の本尊だった。奈良の桜井に坐す大神(おおみわ)神社の祭神はオオモノヌシ(大物主命)であるが、古文書には、オオモノヌシ(大物主)は三輪山の蛇神とされていて、奇妙なことにその本地仏は十一面観音であるという。

そこで思うに、オオモノヌシ(大物主命)の大物は「だいぶつ」とも読め、大仏(だいぶつ)と音韻が通じることから、それを考えると、毘盧遮那仏こと大仏(だいぶつ)に音韻を被せた三輪山の大物(だいぶつ)、つまり三輪山のオオモノヌシ(大物主命)が東大寺の十一面観音を守護している形になる訳だ。そうだとすると、オオモノヌシ(大物主命)はどうやら若狭の龍神とも古層で繋っているようだ。

と、東大寺の伝承はここまで。ここからがいよいよ公の学問には記されることのない、想像の翼が時空を超えて羽ばたいていく話に移る。

〈備考〉

※オオモノヌシ(大物主命)が三輪山の“蛇神”ならば、その神は出雲古族が奉じた“龍蛇神(りゅうだのかみ)”と源流が同じではないか?そうあること示すように、大和(ヤマト:奈良地域の古代の皇都名)には出雲に関わる神を奉る神社が数多くある。大和以前のこの地域は出雲族が領有していたに違いない。それもそうだが、オオモノヌシ(大物主命)の別名、出雲のオオクニヌシ(大国主命)はオオナムチといい、大乙貴命の字が当てられているが、実際は“乙”ではなく“巳”なのだ。なぜなら“巳(ミ)”は“蛇”を指すものであるからだ。なぜ出雲のオオクニヌシ(大国主命)が“蛇”に因む名でなければならないのか?その理由が原出雲にある。乙というのは、物事の順位の二番目を指す意味の他に、普通とは違った変なさまや幼さ、などを表す字とされているので、その字の前後の大(オオ)と貴(ムチ)を合わせると、大いなる二番目として貴い、大いに普通ではない変な姿をした貴き人という意味になり、オオクニヌシ(大国主命)の本名には似つかわしくないのだ。これに対し大巳貴の方は、大巳は大蛇と置き換えるとオロチとも読むことができ、原出雲の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が頭に浮ぶ、そしてそれが大蛇貴となれば、大いなる蛇を名に冠した貴き人という意味になり、原初の出雲を治めていた大王、久那斗乃神(クナトノカミ)の後継者として相応しい名となる。この大いなる蛇、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)とは、原初出雲の古層の神“龍蛇神(リュウダシン/ りゅうじゃしん)”つまり“海神(ワタツミ/かいじん)”のことである。

〈言葉の解説〉

※原出雲:スサノオ(須佐之男命)が入り込む以前の久那斗乃神(クナトノカミ)が治めていた原出雲としての八岐ノ国(ヤマタノクニ)をいう。スサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して出雲国の祖神となる話は、スサノオがクナトノカミを制圧して古代出雲の地を支配したということに他ならない。
※龍蛇(リュウダ/りゅうじゃ):出雲大社では、陰暦の十月十一日から十七日まで、全国の神々が集まり会議することになっている。全国から神々が集まってくるので出雲では「神在月」と呼ぶが、全国では神々が留守になることから全国では陰暦の十月を「神無月」と呼ぶ。会議の前夜に全国から出雲に集まる八百万の神々を神使の海蛇(ウミヘビ)が稲佐ノ浜(出雲西海岸)へ先導してくるとされている。この海蛇を“龍蛇(リュウダ)”と呼び、出雲大社の祭神オオクニヌシ(大国主命)の神の使いとしている。その“龍蛇”の正体は背黒海蛇(セグロウミヘビ)で、その海蛇を迎える御神事を「神迎祭」という。浜に西の海からやってくる海蛇を捉え、もしくは、浜に打ち上げられた海蛇を持ち帰って三方折敷にのせ、神の使いとして出雲大社に奉納する神儀になっている。出雲大社を始め、出雲の各神社では、その海蛇の姿形が“龍”と似ているので“龍蛇様”あるいは“龍蛇神”と呼び、また、その鱗が亀甲の形をしていることから、出雲の各神社の神紋は亀甲紋となっている。

それはそうとこの三輪山、サルタヒコ(猿田彦神)の存在が見え隠れする。伊勢の原初の太陽神はサルタヒコなのでは?という説があるが、その理由に、伊勢の二見ヶ浦沖(太平洋側)から昇る太陽は三輪山の山頂を通り、二上山の二つの頂上の間を抜けて出雲の海域(日本海側)に沈む太陽ラインと呼ばれる太陽の道にあること。また、二見ヶ浦沖の海底には磐座があるが、その磐座を興玉(オキタマ)と呼んでいること。玉は太陽、興は盛んな様を表すことから太陽が照り昇る様を指し、また、興るは起こる、二つの掛詞にもなっていて、「太陽の《復活》」を表す。つまり、この磐座を太陽神サルタヒコとしている。

また、サルタヒコは土御祖神(つちのみおやのかみ)と呼ばれ、その子孫の姓は土公(どこう)であることから、サルタヒコにはいやに《土》が関わってくる。そこでもう解ったとは思う。そう、“サルタヒコ”にまつわる《土》もまた密字だった。つまり、サルタヒコには《十一》の秘数が付いて廻るのだ。

《土》を密字の面から解釈すれば《十一》に。十一面観音の秘数の《十一》は、「大地に立つ十字架」を暗示させる《土》の密字の他に、数霊術においては、「初めに戻る」を意味する数なので《再生=復活》の意味でもある。つまり、太陽神サルタヒコには《再生=復活》の意味が秘められている。

  この《土》に秘された太陽神の意味と「大地に立つ十字架」の暗示、そして《再生=復活》という意味を合わせると、十一面観音はサルタヒコだけでなくキリストとしての姿も浮かび上がってくるのだ!そこを考えると、キリストの「悔い改め」の教えは十一面観音の「悔過(ケカ)の教え」とも相通じるので、十一面観音とキリストとはまさに同体ということになる。

  因みに、これと一致するような出来事が私にあった。かつて私が鈴鹿山麓の椿大社(猿田彦大本宮)を詣でた時のこと。その神社の参道脇にある猿田彦の墳墓とされている土公神陵の御前で「サルタヒコの霊統による託宣」が降りたことだった。その神託の根本に「自らの過ちを詫びる」という教えがあった。

この神託の内容から考えると、十一面観音とサルタヒコとイエス・キリストの三者には「懺悔(ざんげ)の教え」が共通していて、しかもこの三者は人類に救済をもたらす存在であることが見てとれる。

《土》のもう一つの密字にサルタヒコと関わる事柄がある。ということは、ここでも十一面観音とサルタヒコとキリストが同体であることの証明となる。

十一面観音は地底の深い洞窟の兜卒天にあって、その兜卒天の主は弥勒菩薩(みろくぼさつ)。この弥勒菩薩は略称されてミロクと呼ばれるが、そもそもミロクのルーツは、古代中東で発祥した救世の太陽神・ミトラとされていて、一方、サルタヒコは厨戸(ミクロド)の神とも呼ばれ、ミクロドはミロクド、ミクロはミロクのアナグラムとなっていて、ミロクドすなわち弥勒戸となる。となると、サルタヒコは太陽神ミトラに通じる扉(入り口)の神となる訳だ。いや、それよりも、“サルタヒコ”は原初の太陽神とされているので、むしろ“太陽神ミトラ”そのものといえるのではないか?

前述したように、《十一》を密字の面から解釈すれば《土》になるのだが、

逆に《土》を分解すると《十一》の秘数となる。この密字・秘数からいうと、十一面観音は「十一の秘数を秘めた観音」と解釈できる。秘数での《十一》は秘教学において《再生》を表す。やはりここにも《再生》の印が登場してくる。そこで「十一の秘数を秘めた観音」とは「再生の力を秘めた救世観音」という意味になる。十一面観音は救世観音でもあることになる。この救世観音を奉るお寺は全国に唯一つ、いや、世界に一つしかない。その寺は奈良の法隆寺だ。救世観音はその法隆寺の夢殿というところに秘仏として奉られている。しかもこの観音は聖徳太子をモデルとして造られたのではないか?といわれており、

聖徳太子は諡(おくり名/諡号:しごう=没後に贈られた名)で、生前の名は厩戸皇子(うまやどのおうじ/厩戸王とも)といい、厩(うまや)で生まれたイエス・キリストを彷彿とさせる。それにもまして、聖徳太子こと厩戸皇子に景教(原始キリスト教)を教授したのは秦河勝であって、法隆寺に安置されている弥勒像は、厩戸皇子をミロクの生まれ変わりと信じて秦河勝が厩戸皇子に献上したものという事実からすると、イエス・キリストは救世の存在だったのだから、「救世観音とはイエス・キリストである」という結論になる。

  そう考えると、《十一》が示す《土》が、「地に衝き立てられた十字架」と解釈するなら、「磔刑上のキリスト」を「再生の力を秘めた救世観音」とし、「再生の力によって復活したイエス・キリスト」を暗示していることになる。一方「悔過(ケカ)」は“悔い改め”、つまり“懺悔(ざんげ)”を意味し、その解釈から「悔過(ケカ)の行法」とは「懺悔(ざんげ)を繰り返す行法」という意味になる。“悔い改め”“懺悔”といえばキリストの教えに説かれているものだが、それの最も重要なテーマとなっているのが、「キリストの再臨(もちろん生身の再臨)」にある。

「地に衝き立てられた十字架」、秘数の《十一》に示した意味の「再生」は「十字架に磔となったキリスト」、そして、聖墓であるところの岩屋の中から消えたキリストが弟子たちの前に姿を表した「復活」を表したもので、それは「十一面観音の人間界への生身の出現」を祈り願う「悔過(ケカ)の行法」に類似する。それらの類似に仏教とキリスト教の並々ならぬ関係が見てとれる。ここにいうキリスト教とは当時の景教(原始キリスト教東方教会)を指す。

大仏の開眼(大仏の入魂式)の日に向けた当の東大寺においては、兜卒天の常念観音院における十一面観音の「《再生(復活)》の行法」は不可欠であったろう。冒頭でも説明したが、当時は疫病が流行り、人々のモラルも低下した。それ故、朝廷は国家存亡の危機を迎え、国家と民の「救済と再生(復活)」が最も急を要し、それに向けての施策と実行が急がれたに違いない。もう一つは、常念観音院の「常念」である。常に念じ続けること。つまり「意思の持続」をいう。また、観音は観世音菩薩の略で、観自在菩薩とも訳されるが、観世音、観自在とは、「世界は微細な振動で捉えることができるので、魂の眼をもって観ることでどの次元も自在に観ることができる」という意味である。しかし、心が解き放たれた状態でないとその段階には到達できず、何事も自在にはならない。心を解放した状態の究極は魂の解放にあり、言わば霊体の遊離である。幽体離脱ともいう。霊魂が肉体を離れ、物質界の拘束的条件に縛られず、どの次元にも移動することが可能になるから、観音菩薩の心は自在にあるのだ。

ところで話は少し横道に逸れるが、通常死はこの法則には当てはまらない。また、自殺となると自在どころか、肉体にある時より死亡した場に呪縛されて身動きがとれなくなるので大変なことになる。地縛霊というのはそれである。

話を戻して。この「意思の持続」「魂の解放」の二つの行法を修めることが「十一面観音」の教えの主眼だ。それを修めないと「世界人類の再生=復活」には至らない。

大仏は正式には毘盧遮那(ビルシャナ=ヴァイローチャナ)という。または盧遮那(ルシャナ)。大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)と同じ意味だ。大仏はつまり大日如来でもある。如来は秘教学にいう絶対中心太陽を意味し、古代ペルシャで発祥したゾロアスター教のアフラ・マズダー(光の英智の神)、古代エジプトにおける太陽神・ラーや古代ローマで隆盛を極め、キリスト教に大いなる影響を与えたミトラス教の太陽神ミトラス、その源流ともなった古代中央アジアで発祥したミトラ教の太陽神ミトラに求められる。ミトラはミロク=弥勒の語源なので、弥勒菩薩(ミロクボサツ)と毘盧遮那(ビルシャナ)は同体となるのだ。つまり、毘盧遮那こと大仏は弥勒菩薩でもあることになる。仏陀の説法によると、未来に再び現世界に下生して人類を救うと説いている。そのことから弥勒菩薩は未来仏とも呼ばれた。ということは、ミロクは大仏の化身とも考えられる。だからこそ、実忠和尚(じっちゅうかしょう)は龍穴の奥の奥まで足を運び、弥勒菩薩のおられる兜卒天の内院に入り、常念観音院を訪ね、観音の中で最高の法力を持つ十一面観音の「悔過(ケカ)の法要」にはどうあっても立ち会う必要があった。是が非でもその「再生=復活の呪法」を会得することが必要だったのだ。なぜなら、万民の救済はもとより、何よりも朝廷がその呪法を急務としたからであった・・。

さてここで、前項の話の中でちょっと触れた天皇の即位儀礼の一つにあたる「真床追衾(まどこおふすま)の儀礼」についての続きを説明しようと思う。この皇位継承の古式儀礼は前文の結論に繋がってくるのと、この話の主旨とも一致するのでこの儀礼の秘密を紐解くことにした。

 「真床追衾(まどこおふすま)」の真床(まどこ)とは、貴き御方(天皇)の御身(おんみ:肉体)御魂(みたま:霊魂)が神と交わり鎮まる寝所をいい、追(お)は覆(おお)うという意味の転化、衾(ふすま)は貴き御方が羽織る白い布、転じて御霊代(みたましろ)という霊魂の依り代となる聖物に掛ける絹の白衣、神霊の降臨する依り代に掛ける穢れなき聖なる掛け物を意味する。この追衾(まどこおふすま)、その白布、その白い衣の正体が羽衣天女伝説で知られる天女の羽衣(はごろも)を象徴したものであることを知っている人がどれだけいるだろう。羽衣天女の話はトヨウケヒメ(豊宇気比売:伊勢神宮の外宮に奉られる豊受大神と同じ)がモデルとされていて、その羽衣とは、実は白鳥の羽を表し、また、稲穂を咥えた白鳥としてトヨウケヒメは象徴された。天皇即位に欠かせないこの重要な儀礼、それが伊勢神宮参拝の折に外宮優先とされている由縁ともなっている。

貴き者とは天皇だったり、即位を迎える皇位継承者だったり、新嘗祭を行う神宮の大宮司だったり、時代を変容する力の源となる聖者だったりをいうが、即位式を終えた新たな天皇は、外界を遮断した聖なる空間で、御籠もりの時を過ごされる。その部屋を寝所とし、そこには天皇霊の降臨する依り代としての八重畳と呼ばれる暑い畳敷の上に絹布団が敷かれ、それが寝床となり、さらに、その上には聖なる絹の白い衣が添えられている。その寝床の四辺には呪術的な霊具として冠・沓・扇・櫛が置かれる。その冠と沓は霊体分離(幽体離脱)を表し、扇と櫛は蛇体(龍蛇神)を象徴している。それは蛇の脱皮を意味するが、転じて「新たな生命への生まれ変わり」を象徴するものだ。その儀礼によって新たな天皇は「天皇霊(龍蛇神)の玄妙なる御稜威(みいず:強い神力)」が宿り、新たな生命力の更新がなされるのだ。この神事は、皇位の継承者だけに霊依り(タマヨリ)が許される天皇霊の降下儀礼なのである。蛇の脱皮つまり「生命力の再生」を意味する呪法だ。このことから、「大和国(やまとのくに:日本の古い国名)を統治する天皇は代々、太古の日本の本来の主(あるじ)であった龍蛇(りゅうだ)の神と深く関わっていた」という結論に至る。太古の日本の主(あるじ)たる龍蛇の神を招く月の女神=トヨウケオオカミの呪法。これこそが東大寺の「お水取り」の実体だった。

ところで、十一面観音の行法の功徳は、天徳寺の本尊・馬頭観音こと保食神(ウケモチノカミ=稲荷)の御神徳、言い換えれば、豊受大神=豊宇気比売:トヨウケヒメの御神徳である。その御神徳は「生命を蘇らせる真清水の神氣の湧き出る聖泉」に繋がり、「お水送り」を行う若狭神宮寺の本尊・薬師如来の「薬=体を癒す功徳」とも一致する。おそらくこの儀式は「《若狭》の言葉に掛けた《若さ》を取り戻す修法」、つまり《蘇生法》ではなかったか?また、「龍穴の奥の奥を辿れば弥勒菩薩の居られる兜卒天に着く」というその兜卒天というのは《若狭の龍宮》を指していたのではなかったのか?兜卒天は天上、龍宮は海底、この二つの世界はどういう関係、約束事にあるのだろう?

その共通項はわが国の古語にあった。それは「アマ」だ。天も海も「アマ」と呼んだことから、天上の兜率天も海底(地底海)の兜率天も同じことになる。とはいえ、高次元の玄理からすると上も下もなく、時空は意識のレベルで成り立っているので、三次元思考でその関係、約束事を解き明かすことは難しい。

それはさておいて、天皇や国家、しいては個人においても、生まれ変わりの鍵を握っているのはまさに“水”であることだ。だからこそ《再生=復活》に

“水の精” “生命の水”が関係してくるのであって、しかも“水の精”である“龍神”“龍王”“龍蛇神”の居られる“龍宮”が“水”の根源となる。ではその“龍宮”は若狭のどこにあり、それは今でも存在するのだろうか?かつて丹後では“龍宮島(りゅうぐうじま)”とか“常世島(とこよじま)”などと呼ばれた“沓島(くつじま)・冠島(かんむりじま)”という島がある。さらに、

常神半島の先端の先に御神島(おんがじま)という小島があり、その海底には“龍宮”があるという。 そういうことから、若狭の海域が東大寺に伝えられたその“龍宮”のことであり、もしそこがその兜卒天であったとしたら、清めの水を求める者、《再生・復活》の道を歩む者、魂の救済を求める者は、先ずは十一面観音の功徳(悔過:ケカ行法=懺悔の修法=悔い改めの行いの効用)を得ることが重要であって、そのことによって毘盧遮那仏(大日如来)の救済が約束されることになる。つまり、その到達点が《太陽神霊界》であることだ。生ある者が行う十一面観音の「悔過(ケカ)の行法」は、死した者にも行える天女の羽衣を手にする儀礼を模した「真床追衾(まどこおふすま)の儀礼」と同じ効果がある。なぜなら、一方は“龍宮”を通じ、一方は“羽衣”を通じて“太陽の門”を潜ることになり、そうして《太陽神霊界》への参入が許され、《再生・復活=永遠なる生命》を得ることになるからだ。

久世 東伯
太礼道神楽伎流宗家丹阿弥。1990年より京都伏見の稲荷山の神仙「白翁老」より「イナリフトノリ」の指南を受ける。2006年に京都にて太礼道神楽伎流を旗揚げ。翌年、神楽舞の動きを基礎にした「かぐらサイズ」の伝授のため教室を展開。著書に「イナリコード―稲荷に隠された暗号」「イナリコード外伝 日本の霊性、最後の救済」。 久世東伯が受けたご神託 【土公みことのり】PDF特別無料プレゼントしています。 久世東伯が受けたご神託 【土公みことのり】PDF特別無料プレゼントの購読申し込みはこちら
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